【山号】
【院号】
【寺号】
【札所番号】
【開基】
【駐車場】
【宿坊等】
【本尊(祭神)】
【ご詠歌】
【ご真言】
【宗派】
【所在地】
【電話番号】
高野山真言宗の別格本山。四国霊場四カ所の最初の関所であり、阿波の関所としても知られ、
「子安の地蔵さん」や「立江の地蔵さん」と呼ばれ親しまれています。
創建年は天平19年(747年)、聖武天皇(在位724〜49年)の勅願により、行基菩薩が創建。
光明皇后の安産を祈り、身近に置いて拝む念持仏として、一寸八分 (5.5cm)ほどの小さな金の
地蔵菩薩を刻み、これを「延命地蔵菩薩」と名づけ本尊とし、堂塔を建立したと伝えられています。
弘法大師空海が訪れた際、小さなご本尊は後世になって失われる恐れがあるとして、
自ら新たに大きな延命地蔵像を刻み、その胎内に行基菩薩が彫ったご本尊を納められました。
この時に寺名を「立江寺」と号します。当時は現在地より西へ400mはなれた
現在の奥の院のあるところにあり、七堂伽藍を有する大寺院でした。
天正年間(1573年 - 1593年)に長宗我部元親の兵火により焼失するも、
のちに徳島藩藩祖蜂須賀家政の篤い帰依をうけ、現在の地に移り復興を遂げます。
昭和49年(1974年)にも火災によって本堂他諸堂が焼けてしまいますが、
昭和52年(1977年)に再建されて、見事な聖堂に生まれ変わっています。
二度の火災に遭うも、幸いご本尊は難を逃れ無事でした。
本堂の格天井画(286枚)は、東京芸術大学の教授等40名余により、美しい色とりどりの
花鳥風月などが描かれ、観音堂の絵天井とともに、高く評価されています。
行基菩薩が白鷺に暗示をうけたと伝えられる白鷺橋がお寺の手前にあり、
金剛力士(仁王)像が安置された山門をくぐると、左に鐘楼、右に毘沙門堂。
隣に手水場があり、その先の左側に本堂が建ち、本堂左に観音堂があります。
本堂を背にして境内の南に進むと右に大正7年建立の多宝塔、
左に神変堂があり、奥に大師堂。大師堂の右に肉付鐘の緒の黒髪堂があります。
この黒髪堂には、不義をしたお京という女がこの寺にお参りし、懺悔すると、
お京の黒髪が鐘の緒に巻き上げられて残ったという伝説があります。
奥の院には、延命地蔵菩薩を本尊をする奥谷山 清水寺、虚空蔵菩薩を本尊とする
妙見山 取星寺、そして十一面観音を本尊とする岩屋山 星谷寺 の「星の岩屋」。
重要文化財に指定されてる寺伝の「釈迦三尊図」は、京都国立博物館に寄託されています。
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