【山号】
【院号】
【寺号】
【札所番号】
【開基】
【駐車場】
【宿坊等】
【本尊(祭神)】
【ご詠歌】
【ご真言】
【宗派】
【所在地】
【電話番号】
弘仁12年(821年)、嵯峨天皇(在位809〜23)の勅願により弘法大師空海が開創したと伝えられています。
御本尊は大師が自ら刻まれた1寸8分(約5.5cm)の勝軍地蔵菩薩です。
勝軍地蔵菩薩は甲冑を身にまとい、左の掌(てのひら)に如意宝珠、右手に錫杖(しやくじよう)を持ち,
軍馬にまたがった姿をし、祈れば戦に勝つとされ、武家の間で信仰されました。
八十八箇所中で勝軍地蔵を本尊としているのは、この地蔵寺のみ。
淳和天皇(在位823〜33)、仁明天皇(在位833〜50)の3代にわたり天皇家が篤く帰き依えされました。
さらに後宇多天皇の命により紀州熊野権現の神霊を遷すお勤めを仰せられた浄函上人が権現の霊示と霊木を
授かり二尺七寸(約80cm)の延命地蔵尊を刻み、大師が刻んだ地蔵菩薩を胎内に納めたと伝えられています。
勝軍地蔵菩薩の信仰からか、源頼朝、義経をはじめ、蜂須賀家などの武将たちが多くの寄進をしたことにより、
寺領は拡大し阿波・讃岐・伊予の3国で300余ケ寺を持ち、塔頭(たっちゅう)も26ケ寺にのぼったとされます。
天正10年(1582年)に長宗我部元親の兵火によりすべて焼失しますが、江戸時代、徳島藩主蜂須賀氏により再建されます。
本寺の北側にある奥の院の羅漢堂(五百羅漢)には全国でも珍しい木造の羅漢像が200体ほど
コの字型に並んでいる弥勒堂、釈伽堂、大師堂 の中に数々の仏像とともに安置されています。
安永4年(1775年)に実聞・実名という兄弟の僧によって創建されましたが、大正4年(1915年)の火災で堂もろとも
羅漢の大部分が焼失し、その後1922年(大正11年)に再建したのが現在の御堂となります。
境内には樹齢800年を越えるといわれる「たらちね大銀杏」をはじめ、商売繁盛、大漁豊作にご利益のある恵比寿様の
祀られた恵比寿堂、婦人病平癒、縁結び、子授け、安産祈願、又、裁縫の上達を願う人を加護する淡島明神の祀られた淡島堂、
不動堂、八角堂、水子地蔵尊(水琴窟)があります。
▼次の6番札所 安楽寺 までは約 5.3km
四国八十八ヶ所発心の道場阿波の寺院
常楽寺
【所在地】
【本尊(祭神)】
【宗派】
創建は弘仁6年(815年)、開基は弘法大師空海と伝えられています。
八十八ヶ所中、弥勒菩薩を本尊としているのはこのお寺のみです。
弥勒菩薩は釈迦の入滅後の56億7000万年後にあらわれ、多くの人々を
救済するとされている未来仏です。
弘法大師空海がこの地で修行をしていたところ、多くの菩薩を連れた
弥勒菩薩の姿を感得し、霊木にその姿を刻み本尊とし、堂宇を建立しました。
大日寺
【所在地】
【本尊(祭神)】
【宗派】
八十八か所中、大日寺は、4番札所の黒巖山・大日寺、13番札所の大栗山・大日寺28番
札所の法界山・大日寺と3つあります。
こちらの13番札所の大栗山・大日寺の創建は弘仁6年(815年)。
開基と伝えられている弘法大師空海が、この付近にある「大師が森」で、
護摩の修行を行った際、大日如来が現れて「この土地は霊地であるから一寺を建立せよ」
と告げます。そこでその大日如来の姿を刻み本尊とし、堂宇を建立しました。
それにちなんでお寺の名前は大日寺となりました。
焼山寺
【所在地】
【本尊(祭神)】
【宗派】
四国霊場では2番目に高い標高700mにある山岳札所で、阿波霊場三難所の
「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」のひとつです。
創建は大宝年間(701年 - 704年)、役小角(役行者)が開山し、
蔵王権現を祀ったことがお寺のはじまりといわれています。
藤井寺
【所在地】
【本尊(祭神)】
【宗派】
創建は弘仁6年(815年)、開基は弘法大師空海と伝えられています。
静かな山の麓に位置し、本尊は「厄除け薬師」として親しまれています。
四国八十八箇所霊場のうち、寺号の「寺」を「じ」でなく「てら」と読むのはこの寺のみ。
弘法大師空海は42歳の厄年にあたり、自らと諸人の厄を祓い、安寧を願い、薬師如来像を刻み、
堂宇を建立し、その地から山へ218m入ったところの8畳岩に金剛不壊といわれる堅固な護摩壇を
築いて、一七日(7日間)の修法を行いました。
藤井寺という名前は、この時に堂宇の前に植えた藤に由来しています。
切幡寺
【所在地】
【本尊(祭神)】
【宗派】
創建は弘仁年間(810年 - 824年)、開基は弘法大師空海と伝えられています。
女人即身成仏の寺として知られ、女性の信者が多い お寺です。
法輪寺
【所在地】
【本尊(祭神)】
【宗派】
創建は弘仁6年(815年)、開基は弘法大師空海と伝えられています。
のどかな田園風景の中にひっそりと佇む法輪寺。「田中の法輪さん」と呼ばれ親しまれています。
古くは「白蛇山 法林寺」。昔は現在より4キロ北の「法地ヶ渓」にありました。
巡錫中(じゅんしゃく)の弘法大師空海は、そこで仏法を守護する白蛇に出会い、
四国霊場では唯一の釈迦如来涅槃像を刻み、本尊としました。
秘仏とされており、御開帳は5年に1度。(最近では2014年)向って右に薬師如来坐像、
左に釈迦如来坐像、その左に弁財天。
熊谷寺
【所在地】
【本尊(祭神)】
【宗派】
創建は弘仁年間(嵯峨天皇代)。開基は弘法大師空海。
弘法大師空海が閼伽ヶ谷(アカガダニ)で修業をした際に、
紀州熊野権現が現れ、『永く衆生済度の礎とせよ。』とのお告げとともに
一寸八分(約5.5cm)の金の観音像を授けられました。
その場に堂宇を建立し、霊木に自ら等身大の千手観音像を刻み、
その胎内に授けられた観音像と仏舎利百二十粒を収めて本尊としました。
これが熊谷寺の縁起といわれています。
十楽寺
【所在地】
【本尊(祭神)】
【宗派】
大同年間(806年 - 810年)に、この地に逗留した弘法大師空海が阿弥陀如来を感得し、
楠にその像を刻み、本尊として祀ったとされています。
脇侍は観音菩薩立像と勢至菩薩立像で3躰とも鎌倉期の作と言われています。
安楽寺
【所在地】
【本尊(祭神)】
【宗派】
弘仁6年(815年)に開基は弘法大師空海と伝えられています。
四国を巡錫中の弘法大師は、この地にて万病の治癒に効果がある温泉を発見し、
そのほとりにお堂を築き、薬師如来を刻んで安置し、山号を「温泉山」、
寺号を「安楽寺」と名付けました。
地蔵寺
【所在地】
【本尊(祭神)】
【宗派】
弘仁12年(821年)、嵯峨天皇(在位809〜23)の勅願により弘法大師空海が開創したと伝えられています。
御本尊は大師が自ら刻まれた1寸8分(約5.5cm)の勝軍地蔵菩薩です。
大日寺
【所在地】
【本尊(祭神)】
【宗派】
弘仁6年(815年)、弘法大師空海がこの地に長く留まり修行していたとき、
大日如来を感得し、一刀三礼して1寸8分の大日如来像を刻み、これを本尊として創建し、
御本尊に因んで寺号を「大日寺」と命名したと伝えられています。
「黒厳山」の山号は、三方を山に囲まれ黒谷と呼ばれていたところから。
荒廃と再興を繰り返しますが、代々大日如来を守り本尊としている阿波藩主・蜂須賀家、
とくに5代藩主・綱矩公の帰依が篤い帰依を受け、元禄から宝暦年間(1751〜1764年)には
手厚い保護をうけ寺塔の大修理が施されています。
金泉寺
【所在地】
【本尊(祭神)】
【宗派】
奈良時代の天平年間(729年-749年)に聖武天皇の勅願により
行基菩薩が開創し、金光明寺と称していましたが、
後に弘法大師空海が巡錫(じゅんしゃく)の際、
水不足を解消するために掘った井戸から黄金井の霊水が湧出したことから
寺号を金泉寺に改められました。
御本尊は釈迦如来像、脇侍に阿弥陀如来、薬師如来の三尊像。
この由緒ある井戸は、大師堂近くの黄金井地蔵の前にあり、
「長寿をもたらす黄金の井戸」とされ、
のぞいて自分の顔が映れば長生きできるといわれています。
極楽寺
【所在地】
【本尊(祭神)】
【宗派】
奈良時代(710年~784年)、開基は行基菩薩と伝えられています。
弘仁6年(815年)、弘法大師空海が巡錫(じゅんしゃく)の際、二十一日間にわたり、
阿弥陀経を読誦(どくじゅ)し修法された折、結願の日に阿弥陀如来の姿を感得したため、
その姿を刻み本尊としました。御本尊・木造阿弥陀如来坐像は、尊容が美しく、
国指定重要文化財に指定され秘仏となっています。
霊山寺
【所在地】
【本尊(祭神)】
【宗派】
四国八十八か所一番札所として名高い霊山寺です。
どこから巡っても良いとされる遍路ですが、当寺は第一番札所「一番さん」の愛称で親しまれ、多くの人の出発地点となっています。
そのため境内に遍路用品のお店があり、必要な道具をここで揃えることができます。
また、遍路作法についてなども教えてくれるので、出発地点にぴったりです。
国分寺
【所在地】
【本尊(祭神)】
【宗派】
創建は天平勝宝8年(756年)以前、天平年間には災害や疫病(天然痘)が多発したため、
聖武天皇は仏教に篤く帰依し、国の安寧を願い、全国各地に国分寺を創建します。
国分僧寺(こくぶんそうじ)と国分尼寺(こくぶんにじ)に分かれ、
正式名称は、国分僧寺が「金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」。