【山号】
【院号】
【寺号】
【札所番号】
【開基】
【駐車場】
【宿坊等】
【本尊(祭神)】
【ご詠歌】
【ご真言】
【宗派】
【所在地】
【電話番号】
大宝寺のある久万高原町は松山中央部から約34km、
四国山地に囲まれた山間部の地域で、愛媛県のほぼ中央部に位置します。
中札所と呼ばれ、四国霊場八十八ヶ所のちょうど半分の札所に当たります。
久万高原の「くま」は、山と山にはさまれた土地をさす言葉であるといわれています。
その昔この土地に住んでいた老女の名前に由来するともいわれています。
平安時代この地を巡錫していた弘法大師空海は、休もうと訪ねた民家の「くま」
という老女に手厚くもてなされ感銘を受け何か願い事はないかと聞くと、
この地が後世まで栄えるようにと答えがあります。
以後、土地が栄えたため地名が久万となり、「くま」は崇敬され、
於久万大師堂が築かれ大寶寺の境外仏堂となります。
大宝寺のはじまりは大和朝廷の頃、百済から来た聖僧が持ってきた
十一面観音像を山中に安置したことから。
大宝元年に安芸(広島県)からきた明神右京と隼人という兄弟の猟師が
菅草の中より十一面観音像を見つけ、草庵を建てて祀り、
この奏上を聞いた文武天皇(在位697〜707年)による勅命で寺院が建立され、
元号にちなみ「大寶寺」となります。
その後の弘仁13年(822年)にこの地を巡錫した弘法大師空海によって天台宗から真言宗に改宗、
四国霊場の中札所と定められます。
仁平2年(1152年)に全山を焼失しますが、保元年間(1156〜1159年)に
後白河天皇(在位1155〜1158年)の勅使が病気平癒を祈願し
成就したため、妹宮を住職に任じ勅願寺とし、伽藍を再建しました。
後白河法皇の病気平癒を祈願し、妹宮の遺体を祀るお堂と五輪塔の陵権現堂は、
脳や頭の病気に霊験あらたかと言われています。
天正年間(1573年 〜1592年)に長宗我部元親の兵火で再度焼失しますが、
元禄年間(1688年 - 1704年)に伊予松山藩主加藤嘉明などの支援で雲秀法師が再興します。
更に明治7年(1874年)にも失火で焼失しますが、地元の人々により再興を果たします。
久万高原町指定天然記念物の杉や檜の巨木に囲まれた幽玄な境内には、本堂、大師堂に加え
興教大師堂や県指定有形文化財の三十三燈台、久万高原町指定文化財の金剛力士像 、
掘り出し観音、三十番神像、芭蕉塚など見所が多くあります。
▼次の45番札所 岩屋寺 までは約8.4km