【山号】
【院号】
【寺号】
【札所番号】
【開基】
【駐車場】
【宿坊等】
【本尊(祭神)】
【ご詠歌】
【ご真言】
【宗派】
【所在地】
【電話番号】
神仏混合の歴史を持ち、伝統を大事にしながらも現代的なお寺です。
2015年に公開された映画、伊藤淳史さん主演のボクは坊さん。
はこちらの栄福寺 住職の白川 密成さんの随筆作品が元になっています。
創建年は弘仁年間(810年-824年)、弘法大師空海がこの地に訪れた際に
府頭山山頂で海神供養を修し、海上安全を祈願すると
満願日に海上に阿弥陀如来が現れました。
その阿弥陀如来を本尊に、府頭山頂に堂宇を建立したのが
栄福寺のはじまりだといわれています。
貞観元年(859年)、大和・大安寺の行教上人は大分県 宇佐八幡の分社を
京都・山城に男山八幡(石清水八幡)を創建するために
瀬戸内海を航行していましたが、嵐に遭い、この地に漂着します。
府頭山と京都・山城の男山と似ていたこと、本尊の阿弥陀如来は
八幡大菩薩の本地仏であることから府頭山に勝岡八幡宮が創建され、
伊予の石清水八幡宮と呼ばれました。
後の明治の神仏分離令で栄福寺は現在地に移転し、
それぞれが独立する形になりました。
本堂縁の箱車は、昭和8年にお参りにきた
足の不自由な15歳のお遍路さんが乗っていた箱車です。
連れていた犬に箱車を引っ張られて本堂から転倒した際に足が治り、
その御利益に感謝して松葉杖と箱車を奉納したといわれています。
以来、足腰守りのお寺としても信仰を集めます。
見所は山頂から移築された大師堂の十二支の動物の彫刻、
薬師堂、金毘羅堂、お願い地蔵、
八幡宮別当 栄福寺と記載された寛政12年(1800年)の納経帳など。
境内の中で一際目をひく建築家・白川在さん設計の演仏堂は、
仏教を考える場であり、寺務所や提案所、書庫としても使われています。
平成24年(2012年)には同じく白川在さん設計の桧間伐材を利用した
参拝者用トイレがグッドデザイン賞を受賞しています。
寺院の景観に溶け込む男・女・身体障害者用の3棟のトイレは
外壁に柿渋を塗装した落ち着いた佇まいになっています。
巡礼の際にトイレは重要なのでありがたいですね。
栄福寺にはHP「山歌う」もありますので詳細な情報を知りたい方は
「栄福寺」で検索してみてくださいね。
▼次の58番札所 仙遊寺 までは約2.4km
四国八十八ヶ所菩提の道場伊予の寺院
横峰寺
【所在地】
【本尊(祭神)】
【宗派】
石鈇山 福智院 横峰寺は山岳信仰の霊地で修験道の道場でもある
霊峰石鎚山の北側の中腹・標高750m辺り、四国霊場で3番目に
高い場所にあリます。
遍路転がしと呼ばれる急坂の続く難所で、伊予の関所寺です。
標高1,982mの石鎚山は、西条市と久万高原町の境に位置する
近畿以西の西日本最高峰で、横峰寺や前神寺では石鈇山(しゃくまざん)
とも呼ばれます。
横峰寺へは徒歩だと登山道入り口から約2.2km、約1時間30分の道のりです。
国分寺
【所在地】
【本尊(祭神)】
【宗派】
天平年間に災害や疫病(天然痘)が多発し、聖武天皇(724-749年)は
仏教に篤く帰依し、国の安寧を願い、全国各地に国分寺を創建しました。
八十八ヶ所にも徳島・高知・愛媛・香川の四県にそれぞれ国分寺があります。
正式名称は「金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」。
ここ、伊予 国分寺の創建は天平勝宝8年(756年)以前と伝えられています。
創建当時より規模は小さくなっていますが堂々とした佇まいのお寺です。
かつて伊予の国府があったといわれています。
仙遊寺
【所在地】
【本尊(祭神)】
【宗派】
本堂裏まで車で登ることもできますが、
徒歩だと山門をくぐってから少し山道を登ります。
作礼山山頂付近、今治市街地を眼下に望む標高300mの
高台にある仙遊寺。おされさんの愛称で親しまれます。
本尊の千手観音菩薩像を海から竜登川を伝い登ってきた
竜女が一刀三礼しながら彫って安置したことから、
山号が作礼山になったといわれています。
栄福寺
【所在地】
【本尊(祭神)】
【宗派】
神仏混合の歴史を持ち、伝統を大事にしながらも現代的なお寺です。
2015年に公開された映画、伊藤淳史さん主演のボクは坊さん。
はこちらの栄福寺 住職の白川 密成さんの随筆作品が元になっています。
創建年は弘仁年間(810年-824年)、弘法大師空海がこの地に訪れた際に
府頭山山頂で海神供養を修し、海上安全を祈願すると
満願日に海上に阿弥陀如来が現れました。
その阿弥陀如来を本尊に、府頭山頂に堂宇を建立したのが
栄福寺のはじまりだといわれています。
泰山寺
【所在地】
【本尊(祭神)】
【宗派】
今治市郊外、のどかな田園の中、石垣と白い漆喰塀に囲まれた泰山寺。
出入り口には山門ではなく石柱門が立っています。
近くを流れる蒼社川は、毎年のように氾濫し、田畑や家屋、村人の命を奪うため、
人取川とも呼ばれていました。
弘仁6年(815年)にこの地を訪れた弘法大師空海は、村人と共に堤防を築くと
土砂加持の秘法を行い、満願日に空中に延命地蔵菩薩を感得し、治水祈願が成就しました。
南光坊
【所在地】
【本尊(祭神)】
【宗派】
〜寺、ではなく〜坊、と着くのは八十八ヶ所中この南光坊だけ。
正式名称は別宮山 金剛院 光明寺 南光坊。
山門を潜り抜けたら、振り返ってみてください。
仁王像ではなく四天王像が配された四国霊場で唯一の珍しい山門です。
表側に持国天と多聞天、裏側に広目天と増長天が配されています。
創建年は推古天皇御代二年甲寅(594年)で、
四国霊場で唯一 大山祇大明神の本地である大通智勝如来を本尊としています。
脇侍には弥勒菩薩と十一面観音を祀ります。
延命寺
【所在地】
【本尊(祭神)】
【宗派】
松山市を抜けて今治市に入ります。
つぶら椎の巨木やあせびやつつじが多く植栽される花の寺として知られます。
延命寺の創建は奈良時代の養老4年(720年)。
聖武天皇の勅願により行基菩薩が本尊・不動明王を刻み、
近見山頂一帯に堂宇を建立しました。
後の弘仁年間(810年-824年)に嵯峨天皇の勅命により
弘法大師空海が信仰と学問の中心道場「不動院 圓明寺」として再興しますが、
明治頃まで第53番 圓明寺と混同されることが多かったため、
俗称であった「延命寺」に改名されます。
円明寺
【所在地】
【本尊(祭神)】
【宗派】
和気の円明さんの愛称で親しまれる圓明寺 (えんみょうじ)、
創建当初は現在地よりも北の和気海浜坂浪西山にあったため、
海岸山 圓明密寺と称しました。寺名は円明寺と表記されることもあります。
54番札所 延命寺(えんめいじ)と名前が似ているのでご注意ください。
創建年は天平勝宝元年(749年)、聖武天皇の勅願により行基上人が
本尊に阿弥陀如来、脇侍に観世音菩薩、勢至菩薩を刻んで開基したと伝えられています。
太山寺
【所在地】
【本尊(祭神)】
【宗派】
四国八十八ヶ所霊場 第五十二番札所であり、伊予十三仏霊場 第三番札所、
「一夜建立の御堂」の縁起の残る太山寺。
用明2年(587年)、豊後の国(大分県)の真野長者が商いで大阪へ船で向かう途中、
高浜沖で嵐に遭いました。日頃信仰している観音様に無事を祈願すると、
瀧雲山山頂から光が差し嵐が静まり、高浜岸へ辿り着き難を逃れることができました。
光の差した山頂に行くと、小さな十一面観音を祀った草堂(現在の奥の院)がありました。
石手寺
【所在地】
【本尊(祭神)】
【宗派】
日本書紀にも登場する最古の温泉・道後温泉に近くアクセスがしやすく、
文化財の宝庫であるだけでなく、宝物館やマントラ洞窟など見所が多く
観光地としても親しまれています。周辺にはコンビニやカフェ、お土産屋さんも充実しています。
県道から渡らずの橋を渡り、両側に仏具やお土産や名物を売る店が軒を連ねる
石畳の参道を抜け、国宝の仁王門をくぐると、境内には重厚で趣のある
重要文化財の本堂や三重塔、鐘楼、護摩堂、訶梨帝母天堂などが立ち並びます。
繁多寺
【所在地】
【本尊(祭神)】
【宗派】
繁多寺(旛多寺)は、お寺のある町名「畑寺」の由来になっているといわれます。
豊かな自然に囲まれ、綺麗に整備された境内周辺は景観樹林保護地区に指定されています。
松山市街地を望む淡路山(淡路ヶ峠)の中腹にあり、創建年は
天平勝宝年間(749〜756年)、孝謙天皇(在位749〜758年)の勅願で
行基上人により、光明寺という寺号で開創されました。
本尊の薬師如来像は行基上人の作と伝えられています。
浄土寺
【所在地】
【本尊(祭神)】
【宗派】
松山市内に向かって国道11号線右、山手に少し上がります。
牛峰山の麓の閑静な住宅街に位置し、バス停や駅も近くアクセスしやすい浄土寺は、
四国八十八ヶ所霊場の第49番札所であり、伊予十三仏霊場の第2番札所でもあります。
創建年は天平勝宝年間(749年〜757年)、開基は恵明(えみょう)上人、
本尊の釈迦如来像は行基の作と伝えられています。
孝謙天皇(在位749〜758年)の勅願で法相宗の寺院として開創されました。
後に弘法大師空海により再興、真言宗に改め四国霊場に定めます。
西林寺
【所在地】
【本尊(祭神)】
【宗派】
小川のそばにある境内は、道路よりも低く、罪のある者が踏み入ると
無間地獄に落ちると考えられています。
創建年は天平13年(741年)、開基は行基と伝えられています。
聖武天皇の勅願を受けた行基上人は、伊予国の国司 越智宿禰玉純と共に
徳威の里(現在の松山市小野播磨塚周辺)に一宮別当寺として堂宇を建立し開山、
本尊に十一面観音菩薩像を刻んで安置しました。
大同2年(807年)弘法大師空海が巡錫の際、西林寺に逗留し、
国司 越智実勝公と協議、現在の場所に寺を移し四国霊場に定めます。
八坂寺
【所在地】
【本尊(祭神)】
【宗派】
松山市郊外、のどかな田園風景の中、ゆるやかな坂の上にある八坂寺は
修験道の開祖・役行者(役小角 634〜701年)の開山より1,300年の歴史を有する古刹です。
大宝元年(701年)、文武天皇(在位697〜707年)の勅願寺として伊予の国司
越智玉興公が堂宇を建立した際、大友山に8ヶ所の坂道を切り開いたため
寺名が八坂寺となりました。
弘仁6年(815年)に弘法大師空海が再興し霊場に定めます。
浄瑠璃寺
【所在地】
【本尊(祭神)】
【宗派】
愛媛県内には26の霊場があり、松山市内にはその内の8ヶ寺があります。
浄瑠璃寺は三坂峠の麓に位置し、境内には松山市指定天然記念物にも指定されている
樹齢1,000年を超す大樹イブキビャクシンが聳え、その足元には延命や豊作に御利益のある
仏手石と仏足石が安置されています。
創建年は和銅元年(708年)、開基は奈良の大仏開眼を前に布教のためにこの地を訪れた
行基上人と伝えられています。
行基上人は本尊に薬師如来像、脇侍に日光菩薩・月光菩薩、眷属に十二神将を
刻んで安置しました。