【山号】
【院号】
【寺号】
【札所番号】
【開基】
【駐車場】
【宿坊等】
【本尊(祭神)】
【ご詠歌】
【ご真言】
【宗派】
【所在地】
【電話番号】
創建年は天平13年(741年)、行基が千手観世音菩薩を刻み、
本尊として安置し開創したと伝えられています。
天平年間には災害や疫病(天然痘)が多発したため、
聖武天皇は仏教に篤く帰依し、国の安寧を願い、全国各地に国分寺を創建します。
正式名称は、金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)。
八十八ヶ所には徳島・高知・愛媛・香川の四県にそれぞれ国分寺があります。
その後弘仁6年(815年)弘法大師空海が毘沙門天を刻み、奥の院に安置し、
真言宗の寺院として中興し、四国八十八ケ所第二十九番霊場札所となりました。
弘法大師空海はその際、真言八祖に相承される厄除けの「星供の秘法」を修めました。
星祭りともいわれ、除災求福のために正月・冬至・節分に、
七星・九曜・十二宮・二十八宿を供養します。
土佐国分寺は「星供の根本道場」とされ、天下泰平や五穀豊穣、
万民豊楽を願う祈願所として、歴代天皇からの信仰が厚く、加護を受けてきました。
兵火にたびたび遭っていますが、永禄元年(1558年)に長宗我部国親、元親により
金堂が再建され明治37年8月29日に重要文化財になっています。
外観は天平様式、屋根は瓦ではなく木材の薄板を用いた杮葺きで、
四方向に傾斜する面を持つ寄棟造り、内部の海老紅梁は土佐最古といわれています。
屋根は2014年に葺替えられています。
山門(仁王門)は入母屋造楼門で明暦元年(1655年)に土佐藩2代藩主山内忠義に
よって寄進されました。
国分寺周辺は古代から中世まで土佐国の国府の所在地で、三十六歌仙の一人で
「土佐日記」の作者、紀貫之も国司として4年間滞在していました。
創建当時の七重塔の塔心礎(塔を建てる際中心に据える礎石)を主石とした
杉苔が美しい庭園があり、「土佐の苔寺」ともいわれています。
春は桜、初夏には紫陽花、秋には萩を楽しむ事が出来ます。
文芸に縁が深く、庭園には高浜虚子の五女・高木晴子さん、長男・年尾さん、
孫・稲畑汀子さん句碑や朝吹登美子さんの母、磯子さんの歌碑があります。
この他境内には大師堂、開山堂、鐘楼、客殿、光明殿、土佐国総社、
酒断ち地蔵(元は佐比谷寺に祀られていた一言地蔵)、奥の院には
毘沙門天を本尊とする朱塗りの毘沙門堂、毘沙門の滝、弁天堂、滝本神社があります。
国指定の重要文化財は金堂(本堂)、平安時代中期・鎌倉時代作の木造薬師如来立像、梵鐘。
国指定の史跡は土佐国分寺跡、高知県指定保護有形文化財に本堂の厨子・須弥壇、
絹本著色両界曼陀羅 。
南国市指定有形文化財に板絵両界光明真言曼荼羅、海獣葡萄鏡・常滑焼甕。
昭和52年の発掘調査で弥生時代の住居跡も発見されています。
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