【山号】
【寺号】
【札所番号】
【開基】
【駐車場】
【宿坊等】
【本尊(祭神)】
【ご詠歌】
【ご真言】
【宗派】
【所在地】
【電話番号】
浦戸大橋か、長浜地区〜三里地区間を5分ほどで結ぶ県営渡船(県道278号)
で浦戸湾を渡ります。11番札所の藤井寺とともに四国八十八ヶ所霊場の内、
2ヶ寺しかない臨済宗妙心寺派の寺院です。
創建年は弘仁6年(815年)、開基は弘法大師空海で、真言宗に属する寺院で
あり、「少林山高福寺」と称したと伝えられています。
嘉禄元年(1225年)に、右近将監定光という人物が高福寺を創建したとも
いわれています。
鎌倉時代に仏師運慶と長男の湛慶が滞在し、運慶は本尊の薬師如来像と
脇侍の日光・月光菩薩像、湛慶は毘沙門天像と吉祥天女像、善膩師童子像を
刻み安置し、「慶雲寺」と改めたという伝承も残ります。
その後廃寺となりますが、天正年間(1573年〜1593年)後期、長宗我部元親
の後援で、幽霊とやりとりをした逸話が残る(歌詠み幽霊の伝説)
月峰和尚が住職となり、臨済宗の寺院として再興されます。
慶長4年(1599年)長宗我部元親の死後、長宗我部家の菩提寺となり、元親の
法名「雪蹊恕三大禅定門」より「高福山 雪蹊寺」と改められ、江戸初期には
朱子学南学派の祖、天室僧正により野中兼山など多くの優れた儒学者を輩出し、
南学発祥の道場といわれました。
明治3年(1870年)に廃仏毀釈により一時廃寺となりますが、17代住職の
山本太玄和尚により復興されます。廃寺となった時、寺院跡に隣接して明治4年
(1871年)4月7日(新暦5月25日)に秦神社が建立され、雪蹊寺にあった
衣冠束帯姿の長宗我部元親木像をご神体として安置しています。
境内には山門がなく、本堂、大師堂、馬頭観音堂、安産子安地蔵堂、本尊の
薬師如来を含む重要文化財の全16躰が安置されている霊宝殿、17代住職 山本
太玄和尚の供養塔である太玄塔、18代住職 玄峰和尚の供養塔の玄峰塔があります。
昭和の傑僧と呼ばれる山本玄峰老師は青年の頃、失明に近い眼病ながら、
遍路をし雪蹊寺の前で行き倒れ、太玄和尚に救われ出家し、四国を17回遍路しました。
奥の院は土佐西国第二十一番札所でもあり、本尊を聖観音とする中谷堂と
御座大師があります。
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