【山号】
【院号】
【寺号】
【札所番号】
【開基】
【駐車場】
【宿坊等】
【本尊(祭神)】
【ご詠歌】
【ご真言】
【宗派】
【所在地】
【電話番号】
元横綱朝青龍関の四股名の由来になったお寺です。
創建年は弘仁年間(810年〜824年)、開基は弘法大師空海と伝えられています。
昭和48年に宇佐大橋が開通するまで、青龍寺へのお参りは浦ノ内湾の湾口約400mを
竜の渡しと呼ばれる船で渡りました。
当時はお寺への道がほとんど整備されていなかったため、弘法大師空海も青龍寺を
創建する際にはこの船で湾を渡りました。
紀州から連れてきたお供の大工ら八人衆をこの地に残し、参拝者のために渡し船を
出すように命じました。
竜の渡しは近年まで八人衆の子孫によって代々守り続けてきたと伝えられています。
遣唐使として唐に渡り長安の青龍寺で恵果和尚より密教を学んだ弘法大師空海は、
帰国の際に恩に報いるため日本に寺院を建立しようと誓願を立て、有縁の地に届くよう
東の空に独鈷杵を投げました。
帰国後四国巡錫の折、青龍寺境内から南に約600mの場所に位置する奥の院の
老松に独鈷杵が留まっているのを感得し、嵯峨天皇に奏聞、この地に堂宇を建立し、
恵果和尚に因んで独鈷山 伊舎那院 青龍寺と名付けました。
明治の頃までは土佐七大寺といわれる名刹でした。
本尊の波切不動明王像は、弘法大師空海の乗る遣唐使船が嵐に遭った際に現れ
荒波を剣で切り鎮めたといわれており、航海の安全や豊漁にご利益があり、特に
海で働く船乗りや漁師の人々に厚く信仰されています。
不動明王像と一対に祀られている愛染明王坐は国の重要文化財に指定されており、
苦しみをすべて救いとると言われています。
江戸時代初期に荒廃しますが2代目の土佐藩主山内忠義により正保年間(1644年〜1648年)
に再興されます。宝永4年(1707年)の地震と津波で大きな被害を受けますが、江戸末期に
再建されました。
山門(仁王門)左手前に恵果和尚を祀った恵果堂、山門から本堂への170段の石段の途中に
朱色の三重塔があり、奥の山道には恵果和尚のお墓があります。
石段を上りきると唐の青龍寺を模して本堂、大師堂、薬師堂が一直線に並んでいます。
これを伽藍配置といいます。
境内には他に聖天堂、弁天堂、白山大権現、奥の院遥拝堂、客殿があります。
奥の院には波切不動明王を祀る独鈷山不動堂があり、三十六童子より先には裸足で参拝する
しきたりがあります。
▼次の37番札所 岩本寺 までは約 58.5km〔 横浪スカイライン経由 〕