岩本寺

第37番 岩本寺 ( いわもとじ )

【山号】

藤井山 ( ふじいざん )

【院号】

五智院 ( ごちいん )

【寺号】

岩本寺

【札所番号】

第37番

【開基】

行基菩薩

【駐車場】

2台有料

【宿坊等】

8名

【本尊(祭神)】

不動明王、観世音菩薩、阿弥陀如来、薬師如来、地蔵菩薩

【ご詠歌】

六つのちり五つの社あらわして深き仁井田の神の楽しみ

【ご真言】

のうまく さんまんだ ばざら だん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん、おん あろりきゃ そわか、おん あみりた ていせい から うん、おん ころころ せんだり まとうぎ そわか、おん かかかび さんまえい そわか

【宗派】

真言宗智山派

【所在地】

〒 786-0004   高知県高岡郡窪川町茂串町3-13

【電話番号】

0880-22-0376

「三度栗」「桜貝」「子安桜」「口なし蛭」「筆草」「尻なし貝」
「戸たでずの庄屋」の弘法大師七不思議が伝わる岩本寺は、清流四万十川が流れる
四万十町の町役場に近い古い街道筋にあります。

36番青龍寺から岩本寺へは58.5km、岩本寺から38番金剛福寺へは80.7kmと
離れているため、歩きのお遍路さんは岩本寺の宿坊に泊まることが多いそうです。

四国霊場で唯一、五仏の本尊を祀っています。

大師堂は境内では最も古く200年程前の建造物で昭和53年(1978年)に新たに
建てられた本堂の天井は全国から公募した575枚の色鮮やかな絵で彩られています。

創建年は天平年間(729年〜749年)、聖武天皇の勅命を受けた行基上人による開創で、
七難即滅、七福即生を祈念し、天の七星を象取り仁井田明神傍に建立された末寺七ヶ寺
をもつ福圓満寺が前身であると伝えられており、仁井田明神の別当職(別当寺)
であったことから、仁井田寺(仁井田七福寺)とも呼ばれていました。

弘仁年間(810年〜824年)に訪れた弘法大師空海により、新たに五つの社が加えられ、
それぞれの社に一社に祀られていた仁井田明神のご神体から
一の宮の東大宮には大日本根子彦太迩尊(不動明王)、
二の宮の今大神宮には磯城細姫命(観世音菩薩)、
三の宮の中ノ宮には大山祇命・吉備彦狭嶋命(阿弥陀如来)、
四の宮の今宮に伊予二名洲小千命(薬師如来)、
五の宮・聖宮に森ノ宮に伊予天狭貫尊(地蔵菩薩)を本地仏として安置しました。

更に末寺五ヶ寺を建立し、福圓満寺等は七ヶ寺と合わせて十二福寺、また仁井田明神は
仁井田五社(高岡神社)と呼ばれていました。

天正年間(1573年)に兵火等で焼失し一時衰退、再建の際、岩本寺(当時は岩本坊)に、
寺の法灯並びに別当職が遷され、継承されます。

戦国・江戸時代には武将や藩主等からの寺領等の寄進で神仏習合の札所として栄え、
明治の神仏分離で仁井田五社と分離され、五尊の本地仏と札所が岩本寺に統一されます。
それに伴う廃仏毀釈により寺領地の大半を失い廃寺となるも、明治22年(1889年)に
復興され、現在に至ります。

山門(仁王門)をくぐると境内には本堂、大師堂、歓喜天を祀る聖天堂、開山堂、水天宮
があります。

奥の院は大師堂と兼ねられており、矢負い地蔵が祀られています。
2014年に修理・開帳されました。

その昔信心深い貧しい猟師が獲物が見つからず困り果てて自らの胸を矢で射りますが、
お地蔵様が身代わりになり助かります。このお地蔵様が手厚く祀られ矢負い地蔵と呼ばれる
ようになります。

▼次の38番札所 金剛福寺 までは約 80.7km
四国霊場中最も札所間が離れています。