雪蹊寺

第33番雪蹊寺(せっけいじ)

【山号】

高福山 (こうふくざん)

【寺号】

雪蹊寺

【札所番号】

第33番

【開基】

弘法大師

【駐車場】

2台無料

【宿坊等】

無し

【本尊(祭神)】

薬師如来

【ご詠歌】

旅の道飢えしも今は高福寺のちの楽しみ有明の月

【ご真言】

おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

【宗派】

臨済宗妙心寺派

【所在地】

〒781-0270  高知市長浜857-3

【電話番号】

088-837-2233

浦戸大橋か、長浜地区〜三里地区間を5分ほどで結ぶ県営渡船(県道278号)
で浦戸湾を渡ります。11番札所の藤井寺とともに四国八十八ヶ所霊場の内、
2ヶ寺しかない臨済宗妙心寺派の寺院です。

創建年は弘仁6年(815年)、開基は弘法大師空海で、真言宗に属する寺院で
あり、「少林山高福寺」と称したと伝えられています。
嘉禄元年(1225年)に、右近将監定光という人物が高福寺を創建したとも
いわれています。

鎌倉時代に仏師運慶と長男の湛慶が滞在し、運慶は本尊の薬師如来像と
脇侍の日光・月光菩薩像、湛慶は毘沙門天像と吉祥天女像、善膩師童子像を
刻み安置し、「慶雲寺」と改めたという伝承も残ります。

その後廃寺となりますが、天正年間(1573年〜1593年)後期、長宗我部元親
の後援で、幽霊とやりとりをした逸話が残る(歌詠み幽霊の伝説)
月峰和尚が住職となり、臨済宗の寺院として再興されます。

慶長4年(1599年)長宗我部元親の死後、長宗我部家の菩提寺となり、元親の
法名「雪蹊恕三大禅定門」より「高福山 雪蹊寺」と改められ、江戸初期には
朱子学南学派の祖、天室僧正により野中兼山など多くの優れた儒学者を輩出し、
南学発祥の道場といわれました。

明治3年(1870年)に廃仏毀釈により一時廃寺となりますが、17代住職の
山本太玄和尚により復興されます。廃寺となった時、寺院跡に隣接して明治4年
(1871年)4月7日(新暦5月25日)に秦神社が建立され、雪蹊寺にあった
衣冠束帯姿の長宗我部元親木像をご神体として安置しています。

境内には山門がなく、本堂、大師堂、馬頭観音堂、安産子安地蔵堂、本尊の
薬師如来を含む重要文化財の全16躰が安置されている霊宝殿、17代住職 山本
太玄和尚の供養塔である太玄塔、18代住職 玄峰和尚の供養塔の玄峰塔があります。

昭和の傑僧と呼ばれる山本玄峰老師は青年の頃、失明に近い眼病ながら、
遍路をし雪蹊寺の前で行き倒れ、太玄和尚に救われ出家し、四国を17回遍路しました。

奥の院は土佐西国第二十一番札所でもあり、本尊を聖観音とする中谷堂と
御座大師があります。

▼次の34番札所 種間寺 までは 約6.3km

参拝記録

雪蹊寺