【山号】
【院号】
【札所番号】
【開基】
【本尊(祭神)】
【宗派】
【所在地】
【電話番号】
こちらの法起院は長谷寺の塔頭寺院であり、地方にある小規模な寺院で番外ではありますが、
三十三所巡礼の縁起にまつわる寺院です。
創建年は天平7年(735年)、開基は西国三十三所を創始したと伝えられている徳道上人が
この地で隠棲した事に始まるとされており、本尊も徳道上人で、自ら刻んだものと伝えられています。
養老2年(718年)、大和国の長谷寺の開基でもある徳道上人は62歳の頃、
病で仮死状態になりますが、閻魔大王に生前の罪により地獄へ送られる者があまりにも多いので、
三十三箇所の観音霊場を巡り、罪を清め、巡礼によって人々を救うようにと託宣を受け、
起請文と三十三の宝印を授かり、この世に戻されます。
宝印に従い霊場を定め、弟子達と共に三十三所巡礼を人々に説きますが、
普及せず、宝印を摂津国の中山寺の石櫃に納めます。
徳道上人は隠棲していた この法起院で80歳で示寂し、三十三所巡礼は忘れ去られてしまいます。
その後、約270年後に花山天皇(安和元年968年-寛弘5年1008年)が
紀州の那智山で参籠していた折、熊野権現に徳道上人が定めた三十三の
観音霊場を再興するように託宣を授かり、播磨国書写山圓教寺の
性空上人の勧めにより、河内国石川寺(叡福寺)の仏眼上人を先達として
三十三所霊場を巡礼し、笈摺・納め札などの巡礼方式を定め、
花山天皇により各寺院の御詠歌が作られ今日の三十三ヶ所があると伝えられています。
本堂の左側には、上人御廟十三重石塔があり、徳道上人が晩年境内の松の木に登り、
法起菩薩となって遷化したと言われており、法起院の名もそこから付けられました。
徳道上人が松の木に登った際に沓を置いた「上人沓脱ぎ石」も残っています。
この石に触れると願い事が叶うと伝えられています。
中興年は江戸時代前期の元禄8年(1695年)、長谷寺化主の英岳僧正が寺院を再建し、
総本山長谷寺塔頭開山堂とします。
境内には長谷寺の回廊にある燈籠と同じ長谷型燈籠のある本堂、青面金剛像を祀る庚申堂、
弁財天堂、願い事を書くと叶うと言われている葉書きの多羅葉樹、
そして地蔵尊が立ち並んでいます。